お墓をお造りになられた方々から、数々の感動のお話をお聞きしました。
皆様にもご紹介したく、文章にまとめてみました。
第2話/ふる里

「日本人でありながら、私にはふる里がないのです。」
1995年、城山聖地霊園のオープンの年であり、又、戦後50年の年でもあった。

「これで私も日本の地に根を張る事ができ、ふる里ができた。戦後50年にして…。」とその方は感慨深く語った。
中国で生まれ育ち、敗戦とともに一人千円もたされ、強制送還され、戦後日本の地で働き、家も持った。しかし、ふっと振り返ると、生まれ育った地は異国になり、自分の帰る土地もふる里もない。日本人でありながら日本に故郷のないさびしさがあった。
「私にとってお墓を建てる事は家のふる里をつくる事、そしていつか私はこの土地で永眠し、この土地で根が張れるのです。」
お墓を建てる人に、それぞれの事情や想いがあります。単に亡くなられた方を葬る場所ではないと思います。戦後の重みを知らされたその方の場合、「お墓イコールふる里なのです」との言葉が耳から離れません。

1995年 9月吉日 ○○○家建立、それは戦後50年の節目であった。

第1話/お墓参り行こう!

週末になると、この夏3歳になった長女が電話をします「ば一ば、お墓参りに行きますか?」本人はまるで公園に行く感覚なのでしょうか。平日でもお天気のいい日は必ず「そうだ、お墓参りに行こう」と言うのです。それはこの城山霊園の明るく広々とした環境にあるからでしょう。そして墓前で、「今日はいい天気だネ。」とか「今日、こんな事があったよ、じ一じ。」などと話しかけています。時にはお菓子を食べたり彼女にとってお墓参りはとても楽しい事なのです。
墓石に刻まれた文字は、結婚して大阪で暮らしていた私達に父がよくかけてくれた言葉でした。ある時は手紙のしめくくりに、ある時は帰省し大阪に戻る前にこの言葉を贈ってくれました。『元気で仲良く』これが幸せなんだよと言ってくれました。こんな素直であたたかい言葉をかけてくれる父をとても尊敬していました。私達一家はこの言葉を胸に「元気で仲良く」暮らしていきます。